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小沢アレルギーは花粉症のようなもの?

小沢一郎の裏切りと政治腐敗

これによると、小沢サンは「オレンジ共済事件」「東京佐川急便・5億円闇献金事件」「中村喜四郎・建設談合事件」の黒幕で、いずれも他の仲間を売って逃げたのが小沢サンなんだって。

小沢サンに対するオレの理解は次の通りだ。
1. 建設族議員として地元岩手と建設業界を牛耳った父親の息子として育ち、野心を抱く。
2. 田中角栄の金脈政治に心酔して弟子入りした政治屋の一人。
3. 田中角栄がロッキード事件で失脚したら、利権を引き継いだ竹下登の片腕に鞍替え。
4. 金丸信が竹下サンを総理に据える時に、皇民党がホメ殺しキャンペーンをして邪魔したので、金丸信→東京佐川急便→稲川会というルートで皇民党に話をつけたが、癒着が生まれて、結局は金丸サンが捕まってしまい、小沢サンが連鎖的にヤバくなったので、小沢サンは体よく自民党から逃げ出した。
5. その後、「誰とでも寝る」と公言した小沢サンは、新生党→新進党→自由党→民主党と転々として、文字通り「誰とでも寝ながら」政権奪取の機会を伺って来た。
6. 小沢サンという政治屋のビジョンとは、(父親+田中角栄+竹下登+金丸信)=(金権政治+建設業界の利権政治)であり、首相経由で死ぬまで院政を行い、ずっとキングメーカーとして権力を握りながら利権を囲い込みたいだけの人。

久々に見た2ちゃんのスレッドでも賑やか。真偽の判断は読者次第だが、オレはリアルな印象を受ける。

2年前に年金未加入問題で民主党の代表を辞退したけど、みそぎが終わったのか?2年経てば辞退しなくて良いということなのか?民主党再生のために他に人材がいないから…、という理由で支持するくらいなら、自民党に移るか、自民党を支持すれば良いのだ。そして、自民党内で2大政党のような政策論議を展開すれば良い。その方が政策の実現性がある。

花粉症みたいなもので、限界は人それぞれだが、花粉(疑惑ネタ)にある程度接して体内の限界を超えるとアレルギー症状を発症するように、これだけ疑惑ネタに接すると、小沢アレルギーを発症する人が増えて行くのは自然の流れだ。


<小沢代表>靖国神社へのA級戦犯合祀は「間違いだ」 [ 04月11日 03時00分 ]

 民主党の小沢一郎代表は10日、代表就任を受け党本部で毎日新聞のインタビューに応じ、靖国神社へのA級戦犯合祀(ごうし)について「そもそもあそこに祭られるべき筋合いではなかった。間違いだった」と改めて批判した。A級戦犯については「日本人に対し、捕虜になるなら死ねと言ったのに、自分たちは生きて捕虜になった。筋道が通らない。戦死者でもなく、靖国神社に祭られる資格がない」との認識を明らかにした。
 小沢氏はA級戦犯の分祀論については「分祀は合祀を前提にしている言葉だ」と否定的な考えを示した上で、合祀問題の解決策として「事実上(合祀状態を)なくせばいい。(靖国神社に戦没者を記帳した)名札みたいなものがある。それがなくなればいい」と指摘した。
 同神社には、合祀されている戦没者らの氏名を記した「霊璽(れいじ)簿」が安置されており、ここからA級戦犯の氏名を削除する考えを示したとみられる。
 小沢氏はまた、来年の参院選について「候補者選考は私が直接やる」と言明。「問題は1人区だ」と指摘し、1人区で与野党逆転を果たすことで自民、公明両党を参院で過半数割れに持ち込むことを目指す考えを改めて強調した。【尾中香尚里、衛藤達生】
 ◇小沢氏インタビューの要旨
 ――自民党は変わったと思いますか。
 ◆崩壊過程だ。変わってないよ、本質は。例えば道路公団改革。「無駄な道路は造らない」と言っていたのに、全部造る。結局役人の言う通りだ。郵政民営化も形は国有の株式会社にしたが、カッコをつけただけで、いんちきだ。
 ――小泉純一郎首相は「支持基盤が嫌がることをやっている」と。
 ◆すでにがたがたなんだよ。戦後体制が崩壊過程にあるから。そこを喝破していたのは、小泉首相のなかなかのところだ。(支持基盤を)当てにしても、票は入らないことが分かっていた。
 ――来年の参院選で「自公両党を過半数割れに追い込む」と主張しました。候補者選考も含め、今後具体的にどう取り組みますか。
 ◆私が直接やる。(役割は)組織の整備と候補者の選定だ。問題は(改選数1の)1人区。何としてもひっくり返さないといけない。
 ――選挙協力は「非自民、非共産」の枠組みで考えるのですか。
 ◆「非共産」じゃないよ。「非自公」だよ。
 ――では、共産党との選挙協力にはどう取り組みますか。
 ◆なかなか難しい。前から(共産党側に)「(単独で)意地を張ったって仕方がない」と言っているんだがね。ただ、共産党も「非自公」なのは間違いないのだから、排斥する必要はない。「非自公」で過半数を取れるかどうか。自民党の獲得議席を50以下に落とせばいい。みんなが一生懸命やれば、絶対できる。
 ――社民党との連携は。
 ◆社民党とも話をする。だって旧社会党の横路(孝弘衆院副議長)さんのグループとだって(憲法や安全保障政策で)合意しているんだから。社民党も意地張ってないで(民主党と)合意すればいいんだよ。
 ――衆院行政改革特別委員会で、行革推進法案の審議中です。質問に立つ考えはありますか。
 ◆おれは出ないよ。あんな中身のない法案、出る意味がない。
 ――すると、首相との初対決は党首討論ですね。
 ◆出てもいいけどな。
 ――新進党党首時代に、当時の橋本龍太郎首相と「宰相論」を戦わせたこともありました。
 ◆おれは小泉さんと党首討論したことがあるよ。だけど全然関係ない話ばかりで、こっちの言うことに答えない。論戦は挑みたいが、論戦にならないから困っている。
 ――首相にはまず何を聞いてみたいですか。
 ◆全然、何も考えてない。
 ――安全保障政策ですが、前任の前原誠司氏は「中国脅威論」を唱えました。
 ◆小泉首相だって(脅威とは)言っていない。「脅威だ」と政治家が言えば、日本国民にとっての脅威ということだ。言った以上、脅威は取り除かなければならなくなる。だから、首相も脅威とは言わない。
 ――自民党との「対立軸」については、党内の意見集約を9月までに行い、その実績を背景に代表選で再選を目指す考えなのですか。
 ◆本当は急いだ方がいい。だが、現実問題として国会がある。代表選までを含めて考えていいのかなと思う。党内の関心もそこで集まるから。
【聞き手・尾中香尚里、衛藤達生】


<民主党>小沢新代表、「総仕上げ」賭けた最後の勝負に [ 04月08日 08時09分 ]

 小沢一郎・民主党新代表は、自民党田中―竹下派のプリンスと言われながら自民党を離党、非自民政権を実現させたものの、新生、新進、自由の3政党を次々に作っては壊した。その軌跡は、政党の「壊し屋」と形容される。「2大政党」を掲げながらも、自民党と連立を組んだ一時期を除けば、この約10年間は野党暮らしで、不完全燃焼の連続だった。それだけに今回の代表就任は、小沢氏にとって「長い政治人生の総仕上げ」を懸けた最後の大勝負になりそうだ。【中川佳昭】
 「田中・竹下派支配」の昔の陰影がちらりとのぞいた。先月30日夜、小沢氏、羽田孜元首相、渡部恒三国対委員長、国民新党の綿貫民輔代表の69年衆院選初当選組が、東京都内の中華料理屋で会食した。小沢、羽田、渡部の3氏は往年の「竹下派7奉行」。昨年の郵政選挙で自民党を追われた綿貫氏が「民主党頑張れ」と3人を励ました。「自民=福田赳夫元首相系、民主=田中角栄元首相系という今の2大政党の深層断面」(藤井裕久元蔵相)をほうふつとさせる光景だった。
 福田・安倍(晋太郎)系だった小泉純一郎首相は小沢幹事長時代の党全国組織委員長。「全国情勢も詳しいし自民党のやり方も心得ているから手ごわい」と警戒心を隠さない。ポスト小泉に名が挙がる福田康夫元官房長官は、小沢幹事長で戦った90年衆院選で初当選、安倍晋三官房長官は小沢氏が非自民政権を誕生させた93年衆院選で初当選した。「今」と「次」の政界のキーマンたちも、政治経歴では小沢氏に圧倒される身だ。青木幹雄参院議員会長は「メンツをかけて全力でやってくる」と警鐘を鳴らす。
 「剛腕・小沢」「選挙に強い小沢」。今日も根強い小沢待望論の原形は、ほとんどが自民党時代に出来た。人事と資金を一手に掌握し、舞台裏で力を振るったからだが、同党を去って年数がたち「小沢神話」も薄れてきている。「政治家としての賞味期限が近付いている」との見方もある。小泉首相と対立した野中広務元幹事長でさえ「役者としては小泉さんの方が上」と衰えを指摘した。
 投票結果には、民主党内の小沢氏に対する懸念が表れた。新進、自由両党時代に、党首として批判勢力を排除する「純化路線」を進めた記憶が生々しいためだ。政党の離合集散を繰り返す中で、船田元・元経済企画庁長官、二階俊博経済産業相ら離反した側近は多い。自民党に復党し、総務局長として昨年の郵政解散・総選挙を大勝に導いた二階氏は「小沢神話は虚構」と厳しく批判する。小沢側近として知られた藤井氏は「壊し屋といわれるのは、政治家にも政策にも黒白をはっきりしすぎたから。小沢氏の個性と挙党態勢確立をどう調和させられるかが今後の課題だ」と語る。
 ◇両院議員総会の小沢氏演説(要旨)
 36年間に及ぶ政治家としてのすべてを懸けてのろしを上げたい。民主党はあと半歩しかないがけっ縁に立たされている。もはや若くない体に最後のムチを入れて立ち上がった。命懸けで乗り越えたい。2大政党制と政権交代の火を消しては、国民に申し訳が立たない。このまま私の政治生活の幕を閉じるわけにはいかない。ここで身を捨てることが唯一の恩返しだ。
 民主党再生の要諦(ようてい)は、挙党一致の実現だ。世界野球選手権の日本チームのように、オールキャストで全員が力を出し切れば、政権交代という金メダルを必ず取れる。来年の参院選で自公を参院過半数割れに追い込み、一日も早く衆院選を実現し、一気に政権交代を果たさなければならない。
 日本は小泉政治で屋台骨が崩れ、迷走を続けている。立て直すには、「共生」の明確な理念と設計図が不可欠だ。日米関係を基軸に中国、韓国など近隣諸国との関係を改善し、アジア外交を強化しないとならない。
 内政の重要課題は(1)新しい日本を担える人材の育成(2)地域主権の国づくり、政官業のもたれあい構造、官僚主導の中央集権体制の打破(3)経済社会の真の構造改革――だ。小泉政治は自由と身勝手を混同し、弱肉強食の格差社会という妖怪を生んだ。民主党は黙々と働く人、努力する人が報われる公正な社会を目指す。
 代表に選出されても、任期切れの9月に代表選を行う。より良い明日のために、まず私自身が変わらなければならない。この戦いに、政治生命のすべてをつぎ込んで、ひたすら目標にまい進し続けることを誓う。
     ◆小沢氏の歩み◆
1942年5月(歳) 生まれる。父親は小沢佐重喜元建設相
 69年12月(27)衆院に初当選
 85年12月(43)中曽根内閣の自治相兼国家公安委員長
 87年11月(45)竹下内閣の官房副長官
 89年8月 (47)自民党幹事長(海部内閣)
 90年2月     衆院選を幹事長としてさい配、大勝
 91年4月 (48)東京都知事選敗北で幹事長辞任し、竹下派会長代行に就任
 92年12月(50)竹下派分裂
 93年6月 (51)自民党離党、新生党を結成。代表幹事に
    8月     非自民の細川連立政権を樹立
 94年6月 (52)自社さの村山政権誕生、野党転落
   12月     新進党を結党。自らは幹事長に
 95年12月(53)新進党党首に就任
 97年12月(55)新進党を解党
 98年1月     自由党を結党、党首に就任
 99年1月 (56)参院で過半数割れの自民党と連立(小渕政権)
2000年4月(57)連立離脱、自由党から保守党が分裂
  03年9月(61)民主党と合併
  ~12月     民主党代表代行に就任
 04年5月     菅直人代表の後継を受諾するが、年金未納が判明して辞退
 05年9月 (63)代表選への立候補を見送る
 06年4月     民主党代表に就任


小沢、菅氏が午後出馬表明 民主党代表選 [ 04月05日 12時52分 ] 共同通信

 民主党の小沢一郎前副代表と菅直人元代表は5日夕、そろって記者会見し、代表選への出馬を正式に表明する。これにより事実上一騎打ちの構図が確定する。両氏は党の立て直しや与党への反転攻勢に関する政見を説明し、7日の両院議員総会での投票決着に向けて支持拡大に全力を挙げる。選挙情勢は接戦も予想され、両陣営は「党内浮動票」への働き掛けなど激しい多数派工作を展開する見通しだ。小沢、菅両氏は記者会見に先立ち会談し、挙党態勢の確立を確認する。
 菅氏は5日午前、国会内で記者団に「午後に結論を出し、態度表明する。民主党が再生する道に入ってきた」と明言。
 小沢氏は当選1回議員グループとの会合で、党再生策について「昔の自民党も社会党も情報共有できる組織風土があった。それを民主党もしっかりつくる必要がある」との認識を強調した。


小沢、菅両氏が午後出馬表明へ・一騎打ちの構図固まる

 民主党の小沢一郎、菅直人両氏は5日午後、前原誠司代表の辞任に伴う代表選に出馬する意向をそれぞれ表明する。7日の両院議員総会での投票は両氏の事実上の一騎打ちとなる構図が確定、多数派工作が激しくなりそうだ。鳩山由紀夫幹事長らは代表選後の挙党態勢の構築を呼びかけている。
 菅氏は5日午前、国会内で記者団に「午後に何らかの結論を出さなければならない。表明の仕方もあるので最後の段取りをやる」と言明した。
 小沢氏は同日夕、記者会見して出馬表明する意向だ。同日午前、同党の「前議員の会」のメンバーとの会談で小沢氏は「皆さんが議員に復帰して政権をとれるよう頑張りたい」と決意を示した。
 党内情勢は「小沢氏支持」が先行している。鳩山氏のグループは支持を表明済み。5日午後には旧社会党系の赤松広隆副代表らが小沢氏を訪ね、支持を正式に伝える。小沢氏を支持する若手の「一新会」は同日中に国会近くの事務所で総会を開き、選挙準備を本格化させる。 (11:17)


<民主代表選>「民由合併」の立役者同士が激突 [ 04月05日 03時00分 ]

 前原誠司代表の辞任に伴う民主党の新代表選びは4日、小沢一郎前副代表、菅直人元代表がともに出馬の方針を固め、代表選の構図は「話し合い一本化」から両氏の一騎打ちによる投票決着へと大きく変化した。
 「オープンな代表選出」をうたい出馬を決断した菅氏だが、背景にはこのまま小沢氏で一本化すれば「全党的支持」を求め強引な党運営を招きかねない、との党内の懸念があった。「反小沢」勢力の受け皿として、一定票の確保が可能とも踏んだようだ。一方、小沢氏も党内の支持の広がりを背景に、選挙戦を容認した。03年9月の「民由合併」の立役者だった両氏が激突する7日の投票に向け、今後多数派工作が激化することは必至だ。
 小沢氏は4日夜、同氏を支持する若手議員のグループ「一新会」メンバーに電話をかけた。「売られたけんかは買うぞ」。一新会は当初、党内の「小沢アレルギー」を刺激しない観点から表立った動きを控えていたが、菅氏の出馬方針を受け、5日から多数派工作を本格化させる。
 小沢氏は「話し合い一本化」による無投票当選にこだわり、党内グループの支持を着々と取り付けてきたが、同時に「選挙戦支持」も広がったのは予想外だった。旧社会党系の横路孝弘衆院副議長は4日も「話し合い支持」の姿勢を見せたが、同日の旧民社党系グループの会合では投票決着支持が大勢を占めた。前原氏や渡部恒三国対委員長ら選挙論者の多くが小沢氏に批判的とみられているだけに、ベテラン議員は「(執行部を)辞めていく人間がいろいろ言っている」と不快感を示した。
 小沢氏自身が語るように、今回の代表選は党首となる「最後の機会」とみられる。党内各グループに早くから「小沢氏支持」の動きが広がったこともあり、投票での過半数確保への自信から選挙戦での対決に踏み切ったようだ。旧社会党系議員の一人は「小沢氏の勝ちだ。応援しているグループを見れば分かるだろう」と余裕を見せた。
 「(代表選後は)小沢氏や私も含めて一致結束してやる。『固めの杯』だ」。菅氏は4日夕、東京都の「鳩山会館」で開かれた民主党幹部らの「桜を見る会」に出席後、記者団に笑顔でこう語った。しかし、この会合で最も喜びをあらわにしたのは、渡部恒三国対委員長だった。
 「(菅、小沢の)2人が選挙をやって、終わったらがっちり手を握って党を再生する。おれの役割は終わった。もう明日、死んでもいい」
 菅氏の出馬決断の背景には、小沢氏が模索した「話し合い一本化」に対する党内の強い反発があった。
 党内の各グループが小沢氏支持を次々と表明するなか、党内では小沢、菅両氏による話し合い決着論が浮上。これに最も強く反発したのが渡部氏だった。渡部氏は党内調整に歩く鳩山由紀夫幹事長を「談合屋」と呼ぶなど、連日のように不快感を表明。前原誠司代表も同調し、一本化批判は中堅・若手らに広がりを見せ始めた。
 当初は「挙党態勢の維持」を理由に選挙戦に慎重姿勢も見せた菅氏だったが「一本化すれば小沢氏のやりたい放題だ。『密室談合』批判が強まり、結局は挙党態勢を築けない」(側近)との懸念が強まった。菅氏支持グループも主戦論に傾き、結局は出馬せざるを得ない状況ができあがった。
 今回の代表選について菅氏側は「勝ちにこだわっていない」(別の側近)というが、全く勝算がないとみているわけでもない。同党の「最大派閥」は中堅・若手による「党内無党派」。偽メール問題の余波で今回は中堅・若手の出馬が困難視されており、菅氏側は党内無党派の支持に活路を見いだしたい考えだ。


地方組織で小沢氏圧倒=民主代表選で意識調査 [ 04月03日 19時46分 ] 共同通信

 7日の民主党代表選をめぐり、共同通信社は3日までに同党都道府県連の幹部を対象に意識調査を実施、その結果、前原誠司代表の後継に望ましい人として、小沢一郎前副代表を挙げたのが21府県(複数回答を含む)に上り、菅直人元代表の6県(同)を大きく上回り、圧倒的な支持を集めた。
 今回の代表選は、国会議員による投票で行われ、地方組織に投票権はないが、多くの地方組織が小沢氏のリーダーシップに期待感を示したことは、各議員の判断に少なからぬ影響を与えそうだ。


民主代表選び、自民も注視

 民主党は代表選をきっかけに党勢を立て直せるかどうか――。同党内だけでなく、自民党も注視する。
 青木幹雄参院議員会長は4日、衆院千葉7区補欠選挙の応援態勢を協議した会合で「新党首、執行部はメンツをかけて全力で戦ってくる」と警戒感を表明。片山虎之助参院幹事長は「民主党は水に落ちた犬だ。こういうときにたたいておかないといけない」と力説した。
 与党との「大連立」を取りざたされた前原誠司氏と異なり、新代表は誰がなっても対決色を強めるとみている。武部勤幹事長は記者会見で小沢一郎氏を「秀でた強いリーダー」と論評。菅氏のことも「攻撃力があり、頭の回転もよい」(片山氏)と侮っていない。 (07:02)


(4/1)民主代表選びへ調整本格化、鳩山氏「自民が怖いのは小沢氏」

 民主党は1日午前、虚偽の送金メール問題で引責辞任を表明した前原誠司代表の後任選びに向けた調整を本格化させた。小沢一郎、菅直人両氏のいずれかの就任が有力とみられ、党内の各グループの駆け引きが活発になっている。後任代表は7日の両院議員総会で正式に決定し、10日に新執行部が発足する運びだ。
 鳩山由紀夫幹事長は1日朝のTBS番組で「自民党にとって1番怖いのは小沢氏だ。小泉純一郎首相との党首討論では親と子みたいなディベートになる」と述べ、経験豊富な小沢氏の就任に期待感を示した。


小沢一郎ってどんな人?

 小沢一郎(おざわ・いちろう)氏は長年、政界のキーパーソンであり続けている人物だ。「剛腕」という表現がよく使われる。
 1942年岩手県水沢市生まれ。小泉純一郎首相と同じ慶応大学経済学部卒。日本大学大学院中退。大学院在学中の69年、父である佐重喜元建設相の跡を受け継ぐ形で、27歳で自民党から立候補し、衆院に初当選した。以来、当選を続けている。小泉首相は3年後の72年、30歳で衆院に初当選した。
 田中角栄元首相、金丸信元副総理の秘蔵っ子として知られた。金丸元副総理、竹下登元首相とは姻戚関係にある。いわゆる「竹下派七奉行」の一人としてニューリーダーに成長。中曽根内閣時代の85年に自治相として初入閣。87年の竹下内閣で官房副長官を務めた後、89年に47歳という異例の若さで自民党幹事長の要職に就いた。
 91年まで幹事長を務め、政界に大きな影響力を持った。しかし、同年の東京都知事選で敗北した責任を取る格好で幹事長を辞任。以後は竹下派会長代行として当時、圧倒的な勢力を誇った最大派閥を支えた。
 93年に自民党を離党し、新生党を結成。実質的な自民党1党支配をうち破った非自民連立政権である細川政権を実現する立役者を演じた。
 94年に新進党を結成し、幹事長に就く。95年に同党党首。
 98年に自由党を結成し、党首に就任。自民党と連立を組んだ自自政権を作った後、2003年に自由党を率いて民主党に合流。民主党では一度も代表の座に就いていない。
[4月4日/smart woman]

by darkmind628 | 2006-04-05 01:54  

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